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키워드: 展覧情報

총 자료수: 10

  高麗青磁は、朝鮮半島の高麗時代(918-1392)に製作された最も代表的な磁器で、北宋の文人から芳ばしい評判を受けていた。主な製作地は全羅南道の康津と全羅北道の扶安。そして窯が延々と続き、量産されていた。10世紀から生産が始められ、12世紀に至って純青磁が主となり、遼聖宗の陵墓から出土された。その釉色、造形は北宋徽宗時期に高麗へ派遣された使節徐競にも褒められていた。しかし南宋と国交断絶するにつれ、中国に受けた影響が大量に減り、独特の技法の象嵌青磁がつい発展できるようになった。13、14世紀に入り、高麗青磁が主流となり、各地に広がっていた。その上、南宋宮廷の遺跡にもその存在したしるしが発見された。当時、「天下一」と賞賛されている。

  宋の徐競は使節として高麗に滞在した期間の見聞記『宣和奉使高麗図経』を著わしたが、その中で高麗青磁の釉色について緑に近い澄んだ青い「翡色」と記録した。汝窯 「雨過天晴」と称される釉色は北宋焼き物の「自然に学ぶ」精神を表した。また、高麗青磁は釉色以外、陰刻、陽刻、彫刻、透彫、象嵌、鉄绘、辰砂などの技法を通して自然万物の形態を表現し、高麗時代の人々の芸術に対する好みを反映した。

  高麗青磁の収蔵が有名である日本大阪市立東洋陶磁美術館は、本企画のために200点近くの収蔵品を貸し出し、そして本院は収蔵している汝窯青磁を提供し、対比的に展示することになる。北宋時期と高麗時代が青磁に対する愛好を表し、汝磁と高麗青磁の美しさを完璧に表現するように期する。本展覧会は名前を「尚青」につけた。その「青」と言う字は釉色のことを説明するだけでなく、「新鮮」、「新奇」という意味もある。また故宮南院は、今回の展覧会が中国以外のアジア地域の文化芸術展覧会と違った、全く新しい感じを観客に与えるように望んでいる。

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  南アジア、今のインド・バングラデシュ・パキスタン・ブータン・ネパール・スリランカなどの地を指し、地理的にはヒマラヤ山脈の南で、東はベンガル湾に沿い、西はアラビア海に至り、南はインド洋に臨んでいます。三面海に囲まれ、温暖かつ湿潤な気候です。インダス川とガンジス川の二大流域ではインド古代文明が育まれ、紀元前五世紀には仏教が形成され、たちまちのうちに独自の文化が花開くことになりました。仏教の伝来につれて、アジアの各地では南アジアの装飾を身につけた仏像が見られるようになります。これらの仏像は、その多くが上半身は裸、下半身には切れ目のない一枚布を巻いています。両肩に長い布を掛け、腰に装飾品をつけた仏像もあります。現在に至り、南アジアの民族衣装の文化の中には、依然としてこうした特徴が残されており、女性はサリーを、男性は多緹(ドーティ)という布筒をしばる装束を身に付けており、現在のグローバル化した流行のファッションとは強烈なコントラストを形成しています。

  インド半島の西北では、古くより中央アジア民族が移り住んできた影響を受け、中央アジアで広く着用されていた裁断式の上着やズボン、外袍の影響がこの地にまで及びました。その後、モンゴル帝国の皇室と貴族の豪奢な装いも、この地に深い足跡を残しました。半島北部に散居している遊牧民族は、刺繍と染色に長けており、騎馬遊牧民にとって裁断式の装束は便利なものでした。

  南アジア民族は、現在も依然として伝統的な服飾文化を保っており、サリーを着ている女性、或いは裁断した服装を身にまとっている遊牧民族のいずれも、装飾を非常に重視しており、濃艶な色彩を特に好み、また金属や光っている材質の装飾品を好んで付けています。この度の展覧会では、当博物院が収蔵する南アジアの服飾の中から、代表的な逸品を選び出し、「サリーの風情」・「庶民的な色どり」・「宮廷の華麗な服装」の三つのコーナーで、絢爛多彩な南アジアの民族衣裳を展示し、南アジアにおける衣裳と装身具文化の美しさをご鑑賞いただけるよう、皆様をご案内いたします。

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  イスラム教を主に信仰する地域は広大ですが、玉材の分布や東南アジア中国文化の影響を受けたため、僅か十四世紀末葉~十九世紀初葉の間、中央アジア・南アジア・西アジアから東欧などの地に於いて、前後して四つの強大な帝国、或いは王朝の中で、異なる程度の玉雕工芸、所謂当代芸術史界の通称、「イスラム玉器」が発展しました。この四つの政体は、中央アジアから西アジアに至るティムール帝国(1370~1506)、西アジアから東欧にかけてのオスマン帝国(1299~1922)、西アジアのサファヴィー王朝(1501~1736)、及び南アジアのムガール帝国(1526~1857)に当たります。

  十五、六世紀の頃、イスラム玉器の数はさほど多くはなく、造形も金属器や磁器の影響を受け、明確な姿形にまでは発展していませんでした。十七世紀の前半、ムガール帝国の君主、シャー・ジャハーンが欧州やペルシャの玉職人を広く集め、欧州・中国・中央アジア・インド本土の芸術の粋を融合しました。その作品の多くは、花や葉、瓜や果物、或いは馬頭や羊頭を紋飾のモチーフとしており、堅い玉材を以て、自然界の力強さをほめたたえています。この時からイスラム玉器は独特の風格を有するようになったのです。

  典型的なムガール玉雕の影響下で、その他インドの統治権が及ぶ地に於いても、ムガールとその地の風格を融合した玉作品へと発展を遂げました。国境は接していないものの、文化交流が頻繁なオスマン帝国もまた、薄浮き彫りの花葉紋の作品を製作しました。以上の三つの地域の玉器の多くは、入念且つ精密に彫られており、中には金の釘宝を象嵌した作品も見られます。

  十八世紀の後半、乾隆帝は西北の辺疆を防衛する為、軍功を以て中央アジアの東端を版図に収め、「新彊」と称しました。美しいイスラム玉器は、この地を経て次から次へと大清帝国の紫禁城内に献上され、乾隆帝はこの艶やかさに驚嘆して止まず、それらを「ヒンドスタン」地方玉工の作品であるとする考證文を作り、これらを「仙工」・「鬼工」と誇称しました。

  皇帝の高い評価は、ウイグル族と漢民族の玉匠が争って贋作を作り、暴利をむさぼる結果となりました。また密切な交流により、中国とインドの玉職人が互いに相手の精華を吸収し、新しい芸術の傑作を創り出しました。

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  中国で誕生した青花磁器は世界各地に広まり、多くの人々に愛されています。白く艶やかな磁胎の質感と鈷料(コバルト)で丹念に描かれた精緻な装飾模様が、青と白の輝きの内に衝突しながらも調和する青花磁器は、華麗な磁器の代名詞となり、暮らしの中に息づく美学の極みにまで高められました。

  今から700年以上前の元代、江西の景徳鎮で青花磁器の高温焼成が初めて成功し、すぐさま国内外への販売が始められ、当時の磁器産業において全く新しい流行の商品となりました。明代になると、青花磁器の焼造技術は更に成熟して様々な器形が誕生し、装飾模様も多様化して、質量ともに一層充実しました。また、明代は近隣のアジア諸国との往来が盛んだったことから、青花磁器にも新奇な異国情緒が加えられました。民間の窯場で焼成された青花は、造形といい、紋様といい、端整かつ精緻な造りの官窯に比べても全く遜色はなく、自由で溌剌、大胆奔放な作風が見られます。大航海時代と海外貿易に後押しされて、この青と白のコントラストが美しい磁器が巻き起こした旋風はヨーロッパとアジア各国を席巻し、世界的な商品となりました。14世紀後半からは市場の需要に応じて、ベトナムや韓国、日本、イランなど、アジア各国も青花磁器制作の列に加わりました。それらの国々は自国の需要に応えながら中国と競い合う一方で、青花磁器を媒介とした交流の道も拓かれたのです。

  清朝旧蔵品を主とする国立故宮博物院の収蔵品には、明代官窯磁器が多数含まれますが、その中で最も数量の多いのが青花磁器です。近年は各方面から収集した民窯の青花も多数加えられ、明代青花磁器発展の過程を詳しくご覧いただけるようになりました。この度の特別展では、四つのコーナーに分けて青花磁器を展示いたします。明代300年を前・中・後─三段階に分け、「洪武から宣徳」、「正統から正徳」、「嘉靖から明末」─各時代ごとの官窯名品を展示するほか、アジア各地の作品も合わせてご覧いただきます。四つ目のコーナーでは、アジア各地で生産された青花磁器を展示いたします。青と白の潮流が各地でどのような発展を遂げたのか、その違いを明らかにしつつ、明代中国とアジア各国の文化交流において青花磁器が果たした役割を浮き彫りにします。

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  アジアは面積が広大で、自然地理環境も数多くの変化があります。人口が密集し、且つ非常に多くの民族が暮らしており、多様な染織文化を形成しています。例えば、東アジアの黄河流域と長江流域は長期にわたり桑を栽培し養蚕する農業経済を発展させ、絹文化を育んできました。熱帯に位置する東南アジア民族は、男女共に筒裙(サロン)を身に付ける習慣があり、各地でそれぞれ異なるサロンの風貌が現れました。南アジアのインド半島では、女性は一枚の布で巻くサロンを身に着けるのを習慣としています。色彩は非常に艶やかで、装飾工芸も豊富です。広い草原で暮らしている中央アジアの遊牧民族は、豪快奔放な絵柄と大胆な色を用いたイカットが好んでおり、オアシスの色彩が鮮明に表われています。ヨーロッパとアジアの中間地帯に位置するトルコやシリア等の地では、ビザンチンやイスラムのスタイルが時として染織品と服飾に現われることもあります。

  当院は芸術の成果が極めて高い歴代の緙絲(つづれ織り)と刺繍の珍品を所蔵していますが、近年来、より積極的にアジアの染織品を収集し、アジア文物のコレクションを広げています。多様できらびやかなアジアの織物の芸術文化の姿を示すため、この度の展覧会では、新旧収蔵の染織品から作品を選ぶと同時に、特別に、瀋陽故宮博物院より清代皇室の龍袍と服料を借り受け、展覧会の内容を更に豊富にすることを期しています。展覧は、「絹の故鄉」・「サロンの風采」・「幻の彩色織物」・「オアシスの色彩」・「東西の交織」等、5つのコーナーに分け、それぞれ東アジア・東南アジア・アジア・中央アジア・西アジアなど、五つの異なる地域の染織作品を展示致します。最後にもう一つのセクション、「織染絵繍」に於いては、皆様にアジア各地における伝統的な染織工芸をご案内し、更に一歩進んでアジアの人文芸術の成果を鑑賞していただきます。

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  その昔、漢字は朝鮮を経て日本へ伝えられました。17世紀初頭中国の製陶技術もまた、朝鮮の陶磁器職人により日本に伝えられ、1610年、日本で初の磁器が製作されました。その製作地は佐賀県有田町です。有田磁器は伊万里港より荷積みされ交易に使われたため、伊万里焼とも呼ばれるようになりました。伊万里磁器は色彩が豊かで美しく、中国の風采とはほど遠く、しかしながら、その源をさかのぼれば正に中国景徳鎮の彩磁器にたどり着きます。

  17、18世紀には、オランダ東インド会社により伊万里磁器は国際貿易上、新たな勢力として出現し、その存在は中国景徳鎮磁器に取って代わり、飛ぶ鳥を落とす勢いでヨーロッパに於いて広く受け入れられました。東方から遥かに伝わった伊万里磁器は、ヨーロッパ王侯貴族の間でも、先を競って購入される珍しい愛玩物となり、宮殿のインテリア及び宴席上における重要な器として存在し、外交使節間に於いても欠かせぬ贈答品として用いられるようになりました。

  中国に源を発し、景徳鎮に学び、独自に発展した伊万里磁器は、航海時代の利益獲得競争の流れにおいて、色彩鮮やかな帆がマストに翻り、伊万里の地に向けて出航してから、今なお失速することなく現在に至っています。

 

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  仏教はインドを起源としており、アジア文化を構成する重重要な要素です。紀元前6世紀、釈迦牟尼が教えを創始して以来、12世紀末にイスラム教徒が大挙して侵入して来るまで、1700年あまりにわたって発展してきました。仏教が発展する過程に於いて、教義は時代につれて変化し、宗教の内容も絶えず充実していき、思想体系もますます完備し、それぞれの王朝の統治者階級による布教仏教の保護と推進、僧侶による絶え間なき布教の努力、さらには貿易商人の活動範囲が広がるにつれて、インド仏教を信仰する人々は日増しに増えていき、また旅商人の往来など、インド仏教の信仰は日増しに拡大し、中央アジアをはじめ、中国・チベット・モンゴル・スリランカ・東南アジアの各地に影響を与えました。東北アジアは中国との往来が頻繁であったため、仏教も自然な流れとして朝鮮半島と日本に伝わりました。現在、仏教はすでにアジア各地において豊かでな多元的な文化を満開に花咲かせています。

  アジア各地に於ける仏像、或いは経典は、衆生を苦しみから解き放つという観点から、いかにすれば成仏できるかという宗教的な考え方を伝えていきましたが、土地によって文化的背景は異なるので、その土地に応じて豊かな文化的養分を吸収しながら、あまたの「同源異流」と言うべき地方的特色を生み出し、千変万化の仏や菩薩、天王、護法等の像をはじめ、それぞれ異なった写経と表装の形が造られ、アジアの仏教芸術を、大いに異彩を放ち、光り輝いて、人の目を奪っています。

  この度の本展覧は、「誕生の悅び」・「仏陀の智慧」・「菩薩の慈悲」・「経蔵の流伝」・「密教の神秘」の5単元つのコーナーに分け、時間軸に沿って各地の仏像や経典を並べ、仏教美術における「永遠のもの」と「変わりつつあるもの」とをご覧にいれます。同じ時代でも違う地域で花開いた仏教芸術の美しさ、そしてその奥深い宗教的哲理を皆様にご鑑賞いただけるようご案内いたします。

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  茶を味わう-それは生活であり、流行であり、芸術であり、文化であり、そして茶を愛する人たちの共通の言語でもあります。

  茶の原郷は中国であり、古くから喉の渇きを癒す飲み物とされ、薬としても飲まれてきました。唐や宋の時代は茶を煎じて飲んでいましたが、明清時代になると湯を注ぐ方法へと変わり、茶の入れ方の変化に伴って茶器の使い方や茶の飲み方も変わっていきました。中国における喫茶習慣は使臣や貿易によりモンゴルやチベットに伝えられ、人々の生活に深く溶け込んでいきました。ますます増大していく茶葉の需要に茶馬古道と呼ばれる茶葉の交易路が生まれ、遊牧民族独自の喫茶スタイルと茶器が発展しました。

  唐宋時代、中国の喫茶習慣は中国と日本を往来した遣唐使や僧侶、商人によって日本にも伝えられ、地元の文化的精神と茶の作法が融合し、極めて厳密な日本の茶道が生まれました。また、文人たちが清談を交わしながら茶を楽しむ日本の「煎茶道」も、明代末期に福建の僧侶が閩式(福建式)の喫茶法と宜興茶器を日本にもたらしたことが始まりです。

  明末清初、中国南東部の沿海地方から海を渡った移民とともに、喫茶習慣は東南アジアと台湾にも伝えられました。台湾は福建・広東地方の「工夫茶」の伝統を継承したばかりでなく、今や喫茶は芸術の域にまで高められています。『諸羅県志』の記載によると、台湾の中南部に野生の茶樹が分布しているとあり、台湾が茶の栽培に適していたことがわかります。茶葉商人により福建南部から台湾に持ち込まれた茶種と製法は絶えず改良が重ねられ、ついに一九八〇年代に高山茶が誕生し、主に台湾中部の山間部で栽培されています。

  本展覧は以上の流れを踏まえ「茶郷-中華の茶文化」、「茶道-日本の茶文化」、「茶趣-台湾の工夫茶」の三つのコーナーから成り、当博物院が所蔵する茶文化の関連文物を通じて各地域特有の喫茶方法と文化をご紹介します。さらに明代の茶寮(茶室)、日本の茶室、及び現代の茶席を再現し、異なる時空の独特なムードを味わっていただきながら、アジアにおける茶の伝播と交流が、各自の特色を備えつつも互いに通じ合う茶文化を如何に発展させてきたかをご覧いただきます。

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  嘉義の旧称は諸羅で、嘉南平野の北端に位置し、北回帰線が県境を横に通っています。多様な自然景観や豊かな歴史文化が、活気ある風貌を呈しています。境内の河流は延々と続き、海に出る河口に沖積した海岸平野、丘や山岳、河や谷などの様々な地勢が、異なる地区からやって来た住民を養い、豊かで輝かしい文明を育ててきたのです。

  有史以前より、嘉義地区の海岸線は絶えず変化し、内海に逆風する沿海地形に住んでいた人達は、徐々に河口に海港の機能を形成し、新しい文明の形を産み出しました。大航海時代になり、海を越えた欧州文化、及び中国大陸の東南からの移民の影響を受け、新、旧住民は山・海・平原の間に於いて融合し、豊富で多様、且つ生気溢れる発展を遂げました。20世紀以降、嘉義は再び近代化の過程に中で脱皮し、信仰をはじめ・工芸・芸術・產業・体育など、多方面に向けて旺盛な生命力を表現し続けてきました。国立故宮博物院は、歴史の文献や珍貴な文物とニューメディアデジタルビデオを結合し、参観される皆様のために、豊富で素晴らしい嘉義の故事を語って参ります。

  ニューメディアテクニックで製作されたビデオを以て、時の移り変わりによる発展を、「旭日初昇—地理」・「嘉邑興起—開発」、「人文の粋を集める—芸文」の三単元に分け、有史以前から現代に至る嘉義の歴史文化、及び地理・人文・景観をはっきり述べて明らかにすると同時に、ニューメディア対話型年表、及び小型特定テーマの展覧を通して、嘉義の豊富な文化の蘊蓄を深く理解して頂きます。

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  アジアは地球上で陸地を覆っている面積が最も広い地域であり、人口は全世界の約60%を占め、世界のトップに位置しています。一千余りの民族が分布する間にあって、多様な文化を呈し、それぞれ異なる趣を有しています。衣、食、住、交通の各方面に於いても、地政学上の要因により様々な様相が併存しています。先史時代から有史時代に至るまで、各民族が頻繁に接触し、互いに作用しあい、融合する過程の中で、徐々に各民族の特色が形作られ、同時に影響し合った形跡が残されています。芸術文化面は更に顕著で、発展過程に於いて、各地域の異なった文化の要素が浸透あっている様相を呈しています。

  国立故宮博物院南部院区は、アジアの芸術文化の認識に通じる博物館であり、本院の所蔵する文物とその他の博物館の豊富且つ精美な文物を通して、ご来館の皆様にアジアの数千年に及ぶ各地域の文化の発展と変遷をご紹介し、芸術が互いに融合する過程をご披露いたします。

  本展示コーナーは、台湾に立脚し、アジアに目を向けることを主軸とし、「アジアを知る」「インド文化圏」「古来の中国文化圈」の三つのフィルムを作成しました。新機軸を打ち出した精緻な説明に、先端を行く科学技術の撮影手法を加え、詳しく各展示コーナーの芸術文化の逸品を陳列し、ご来館の皆様にアジア文明の奥深さと広さをより身近に感じて頂きます。

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